易占いの歴史について
易占いとは、四柱推命や算命学同様、中国発祥の占いの1つです。
易占の「易」とは「易経」を表しており、中国では「イー・チン」と呼ばれ、古くから行われている占術方法です。
易経の「経」は、織物を織る際に使用される縦糸の意味からきており、物事の道理や条理などを表しています。
易とは、ある事柄に関する道理や条理、また、人生や国を統治するためにはどのようにすれば良いのかを示してくれる指針ともなる占いなのです。
また、易は人智では計り知ることが出来ない「宇宙の理」を現しているとも言われています。
そして、これら易においての事柄を解き明かした書物のことを「経書」と呼びます。
中国では易経をはじめ、「詩・書・礼・春・秋」の5つを合わせて五経と呼びます。
五経は、数千年もの間、学問の世界において極めて権威のある「書物」として扱われてきました。
当時から中国をはじめとするアジア圏では、文化を支える精神的な柱である儒教の必読書となっていたと伝えられています。
そして、これらの書物は、大学・中庸・論語・孟子の4書と共に日本へ伝わり、「四書五経」と呼ばれ親しまれてきました。
つい100年ほど前までは、この「四書五経」が学人たちの基礎として頭に叩き込まれていたと言われています。
では、学問ではなく、占いとしてはどのような歴史を辿ってきたのでしょうか?
易占いの歴史の始まりは中国古代王朝
易占いとしての易の歴史は、中国の古代王朝の1つである「殷の時代」まで遡ります。
当時は、亀の甲羅をあぶって焼き、その甲羅のひび割れの形状から「吉・凶」を判断していたと伝えられています。
ところで、古くから「卜占(ぼくせん)」と言う言葉が存在することをご存知でしょうか?
これは、亀の甲羅のひび割れの形状を表す象形文字の「卜(ぼく)」から来ていると言われています。
そして、時は流れて殷の時代が終わり、周の時代となると「亀の甲羅」の入手が困難となります。
そこで、亀の甲羅の代用として、マメ科のハギ属の多年草「蓍(めど)」の茎を使用した占いが誕生します。
以降、さらに改良に改良を重ね、ついに特定の法則に沿った「数字そのもので占う」という易占いが完成したのです。
易占いが正式に行われるようになったのは、紀元前12世紀頃と言われています。
それだけ、歴史の古い伝統的な占いが「易占い」というわけなのです。