手相占いの歴史
手相占いとは何か?どのような特徴があるのか?
そのお話の前に、手相占いがどのように誕生したのかについてちょっと触れてみます。
「手相」と聞くと、東洋の占術に思われがちですよね?
ところが意外なことに、手相は12世紀頃に誕生したヨーロッパの占術なんですね。
いろいろな書物に、哲学者のアリストテレスが手相占いを行っていたなどの記述や、古代インドやギリシア、ローマなどで行われていたという僅かな記述が残っています。
現在の「手相占い」の基本型が誕生したのは、12世紀のヨーロッパです。
その頃のヨーロッパは、文芸復興や学芸復興など、神々中心の中世から、人間中心の近代文化へ転換していたルネサンス時代でした。
当時の手相占いは、まとまりがない状態だったのですが、それらを集め「写本」にし、14世紀頃に占星術と結びついたことで現在の手相占いに発展したと伝えられています。
手相占いに関する最古の原典は、14世紀末期に記されたと言われる「マンス・カイロマンティア」という写本だとされています。
しかし、手相占いは18世紀頃を境に衰退して行きます。
17世紀頃、ヨーロッパで発生した「力学」と「物理法則概念」を中心とした「科学革命」によって手相占いや占星術などは、陰に追いやられてしまったのです。
しかし、19世紀になると「手相占い」は2つの分野で活躍するようになります。
1つは、学問や研究など科学的な分野の研究対象として、様々な研究員や医師たちの手によって皮膚隆線に関心を向けた「医学的な手相占い」が発展して行くのです。
もう1つは、19世紀頃に発展したオカルティズムによって、占星術と深い関わりを持つ手相占いを復活させるという試みです。
現在の手相占いは、古代より伝わる「手相占術」を基本型とし、19世紀後期に誕生した「手相の方式」を取り入れ、より分かりやすく人に受け入れやすい形へ進化したものです。
このように、手相占いは、様々な人々の努力によって誕生した占いだということが歴史から読み取れると思います。
占星術との関係から分かる手相占いの歴史
手相占いは、東洋ではなく、西洋の占術の1つだという歴史をご紹介しましたが、その特徴は一体どのあたりに現れているのでしょうか。
現在、日本や世界各国でメジャーに行われている手相占いは、西洋占星術を基本とした「アストロ・パーミストリー」と呼ばれるものです。
ところで、手相占い師を目指している方はご存知かと思いますが・・・
手相に関する書物には、掌(てのひら)の特定部位の呼び方が「金星の丘」や「水星の丘」といった太陽系の惑星の名称が含まれています。
これは手相占いが、西洋占星術の1種だという歴史を表しています。
また、手相占いは、一般的には掌(てのひら)にある複雑な線だけを読んでいくものと思っている人も少なくないでしょう。
しかし、実際の手相は「手の形」「指」「手の肉付き」など、手全体の相から占っているのです。
手相占いでは、手の形から占術する「Chirognomy(手の形態学)」と「Chiromancy(手の占い)」の2つから成り立っています。
手の形態学からは、主に人の気立てや気性といった「気質や性格」「生まれ持った才能」などを見ます。
手の占いからは、主に人の未来や運命などを見ます。
様々な観点から占うことができるのが、手相占いのおもしろみの一つと言えるでしょう。