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算命学とは?

算命学とは、中国発祥の占術の1つです。

 

算命学では、十干と十二支を組み合わせた六十干支によって占いを進めていきます。

 

十干とは、「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」

 

十二支は、「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」のことです。

 

この干支暦を基に、人の宿命や運命を占うという占星術です。

 

算命学の算命とは「運命の算出」という意味から名付けられています。

 

これは、人間がこの世に生まれた瞬間から宿命があり、過去や現在、未来にいたるまでの「命理学全般」を示す用語としても用いられます。

 

ちなみに、中国語の「算命館」は日本語で「占いの館」という意味になります。

 

では、算命学とはどのような占いなのでしょうか?

 

まずは、算命学という占いの歴史についてご説明しましょう。

算命学とは?その歴史について

算命学の歴史は古く、今からおよそ2300年前に遡ります。

 

古代の中国の人々は、気が遠くなるような膨大な時間をかけて、天体や自然界の動きを観察し続けていきました。

 

何代にも渡って研究した結果、その変化にはある法則があることを発見したのです。

 

それを「暦術思想」と呼び、さらに研究を重ねてゆきます。

 

その後、1000年以上に渡って暦術思想の研究が行われていきました。

 

さらに、試行錯誤を繰り返し、その過程で五行思想や陰陽思想を織り交ぜ、仏教や医術、戦術、道徳など様々な分野の根源となりました。

 

算命学は、この暦術思想を基に作られていったのです。

算命学の歴史に不可欠な人物とは?

そして中国の春秋戦国時代、ある有名な戦略家が算命学の歴史を大きく変えていきます。

 

「鬼谷子(きこくし)」という人物が、算命学の根源理論を作り上げたのです

 

ちなみに、現在の中国では算命学は使用されていません。

 

その理由は、第二次世界大戦の終戦後に遡ります。

 

当時、中国では共産党革命が勃発し、算命学の伝承者「呉仁和氏」は算命学の膨大な資料を手に長崎県へと亡命してきました。

 

そして、文学博士の高尾義政氏と出会います。

 

高尾氏は、呉仁和氏から算命学理論を受け継ぎ、算命学の膨大な理論を整理しました。

 

その結果、昭和40年頃に、日本における算命学の基礎となる「高尾算命学」を一挙に公開したのです。

 

その後、算命学の1理論である「天中殺」が国内で急激に流行り、算命学の認知度が広まり、徐々に民衆へと浸透したと言われています。

 

日本における算命学の基礎を築いた高尾氏は「東洋における運命学及び人間探求学問の雄」として有名です。

 

国内だけではなく、世界中の国や地域から注目を集めています。

 

算命学とは、数多くの人々の優れた知恵を集結させて完成した占術の1つと言えます。

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